宝塚音楽学校(たからづかおんがくがっこう)は、予科・本科合わせて2年制の宝塚歌劇団生の養成学校である。学校教育法上は兵庫県認可の各種学校となっている。
概要
阪急電鉄の出資で設立した。設置者は学校法人宝塚音楽学校(兵庫県知事所轄、各種学校)。校長は、小林公平(阪急電鉄元会長、創立者小林一三の三男・米三の婿養子。公平の長男・小林公一は歌劇団理事長)。副校長は宝塚OGで歌劇団理事のひとりである今西正子(芸名・葉山三千子)が就いた。
宝塚歌劇団には、「歌劇団生は宝塚音楽学校の卒業生に限る」という峻厳な規則があり、そのため人間形成第一の養成が行われている。
* 毎日、声楽・バレエ・日舞など、劇団で必要な事柄について、みっちりレッスンが組まれている。その他の授業には、モダンダンス・タップダンス・演劇、琴・三味線・ピアノ・茶道・狂言・英会話などがある。隊列行進の仕方は、実際に自衛隊から講師を招聘して、指導を受けている。
* 「社会でも家庭でも敬愛される」人間形成を第一にしているため、礼儀作法やしつけには特に厳しい。予科生が早朝から稽古場を丁寧に掃除するのが最も有名である。
* かつては「女士官学校」と呼ばれるほどに厳しさは有名であった。昭和中期には現在に比べると大量の生徒を入学させていたが、同時に多数の落第者を出していた。当時の生徒によると、長期休暇の際に落第者は成績表とともに荷物が送り返されるのだと言う。現在中退者はあまり出ていないが、それでも厳しさに耐えられなかったり、あるいは怪我などのため入団を断念せざるを得ない者もいる。
服装
* グレーの制帽に、赤いリボンタイ。
* 入学生(予科生)は、毛先まで堅く編み込まれた、三つ編みのおさげ髪。
* 胸もとの校章にある「TMS」は、「タカラヅカ・ミュージック・スクール」の頭文字。
* 白の三つ折りソックスを着用すること。
* なお靴は、予科生は黒のローファー、本科生は黒のパンプスである。
校則
* 登下校の際は、嬌声や笑い声をたてないよう、姿勢を正してまっすぐ前を見つめて、早足で登下校する。2列縦隊で行進しながら、道行く上級生一人一人に挨拶をする。
* 私服でも、赤い物を着てはいけない。ブランド品を持ってはいけない。
* 電車は、いちばん後ろの車両に乗らなければいけない。講師・本科生が、予科生を指導しやすいようにする為というのが、その理由と思われる。また、阪急電鉄の組織内に在る、社員に類似する者であることから、他の乗客に対する礼としてなす、という意味もあるようである。ちなみに阪急電鉄では、ここが携帯電話オフ車両となっている。
* 校内では、来客が通りやすいように、廊下の端を歩く。
* 本科生になると、これらの規則はゆるやかになる。
* 公私すべてにおいて、本科生が予科生を指導し、その面倒をみるシステムになっている。
入学後の学校生活
1年目は「予科」、2年目は「本科」と呼ばれ、ほとんどの生徒は寮での集団生活になる。
2年生(本科)の文化祭が、芸名でのお披露目であり、この時に「男役でいくか、娘役でいくか」を決める。だいたい身長164cmを境にして分かれるとされ、舞台上の性別は「身長だけで決まってしまう」とも言われる。ただし本人の個性(顔立ち・声など)が顕著な場合は例外もある。
卒業後の生活
音楽学校を卒業すると歌劇団に入団するが、学校の成績が入団時にも付いて回る。新入団者の「序列」は、卒業時の成績であり、これが様々なリストなどで公開されている。さらに、奇数年次には試験があり、それにより序列が変動していくという仕組みになっている。
形式的には、この新入団者たちは「研究科」と呼ばれる。「研究科1年」、略して「研1」という風に呼ばれ、この「研究科」は7年で終る。その後は、「タレント契約」という形で残ることになるが、あまり不出来だとタレント契約を拒まれることもある。
なお、入団後の初舞台はラインダンスをレビューで披露する伝統があり、毎年の風物詩になっている。
ウィキペディアより